秋桜  






「小さい頃、空に手を伸ばすと、」


隣にいる蓉子がまどろみの中で言葉を紡いでいる。囁くような声。二人だけの世界。忍び寄る夜の気配に身を任せる。


「うん、それで?」

「自分が何でも出来る気がして。ほら、子供の頃の世界ってすごくすごく大きいじゃない?」


脈絡のあるようでない蓉子。ぼんやりと夜を漂う気分になる。こんな蓉子も勿論好きだ。同じくらいぼんやりとした頭で聖は考える。
蓉子は僅かに身じろぎをして。


「世界は自分を中心に回っている気がして」


揺れている。声が、空気が。蓉子が。

別に悲しい話ではない。大きな世界。万能な自分。何がいけないのか聖には分からない。


「うん」


それでも只首肯する。腕の中の蓉子を気持ち強く抱き締めて。
暗いからか自分の服に遮られているからか蓉子の顔は確認出来ない。空気の振動だけが聖に伝わる。


「幸せだった?」


優しく、優しく。蓉子の髪からは自分と同じシャンプーの香りがする。


「そうね…幸せだった、のかも知れないわ」


くぐもった声。そんなに顔を埋めて苦しくはないのだろうか。聖は明後日なことを思ってから。


「どうしたの?怖い夢でも見た?」


明後日な言葉をかけた。自慢では無いが弱っている蓉子には弱いのだ。年端もゆかない子供に泣かれたときとはちょっと違う、でもあたふたとなる程度は余り変わらないくらい。


「…私、まだ寝てないわよ」

「そう?じゃあ、もう寝る?」


暫しの沈黙。肯定と取ればいいのか否定と取ればいいのか。
どちらでも違いは無いのだと選択を放棄して。ゆるゆると目を瞑った。


「聖は、聞いてばかりね」


頭にしっとりと響く蓉子の吐いた吐息。


「そう?」

「…ほら、また」


そんなことを言われても聖は困ってしまう。動揺を悟られないように髪をもうひと撫で。
蓉子は声を立てずに笑って。ごくごく小さな声で。

「コスモス畑」

と呟いた。


聞き返すことが出来ないのはどうしてだろう。聖は不思議に思う。
無言の聖をさして気にする風でもなく蓉子の言葉は流れていく。自然に。


「独りきりの世界で、私は確かに幸せだったのよね」


よどみなく。


「だから」


そして唐突にぷつりと途切れて。


「…蓉子?」


そっと口に乗せた呼び掛けは思いのほか頼りなく響いた。迷子になった子供のような。
返答の代わりに微かな寝息。


「蓉子」


自分の声は哀願を帯びているかも知れない。


「よ、こ」


自分だって返事を期待してはいないのだ。

聖のついた嘆息が黒髪を揺らした。
いつの間にか目を開けていたらしい、と何に対してか分からない苦笑をこぼして。
だから、の先の応えとしてもう一度蓉子を静かに抱き締めた。







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私が今まで生きてきた中で一番広い世界は保育園の時のコスモス畑です。