花 火







最後の花火に火をつけ終えた時、蓉子は、少しだけ寂しそうに、笑った。




青白く、直ぐに緑や赤、或いは黄色なんかに変わる光に照らされた表情には見事に現実感というものが抜け落ちていた。仄かにそれらを浴び吸収しているかにも見える姿。不意に消えそうにも思えた。この夏の夜の生ぬるい風とちんけな着色の花火の柄と。みんな一緒に、まとめて。


無意識の行動は鋭い熱と光に阻まれる。数秒と経たずに腰掛け直したブロック塀は冷たいままで私を乗せて、空き地と呼んでも差し支えないようなこの公園に繋ぎ止めていた。このまま倒れてしまうのも一興、とばかりに視界に収めた空は、明るい地上のせいで何も見えない。蓉子の持っている火はもうすぐ尽きそうだ。けれど、それが何の足しになるというのか。



線香花火は最初の方に済ませてしまった。これは最後にするものよね、なんていうから私は笑ってまとめて点火した。呆れた顔に半分差し出すとそっぽを向かれてしまう。まるで私がいじめっ子みたいじゃないか。軽く膨れてみせるとそれが、一番の楽しみだったのだと小さな声で告白した。



さくさくと砂利が鳴る。じゅっと音がして、バケツに派手な緋色が差し込まれた。セットに着いていた蝋燭も吹き消される。隣家から漏れる明かりで、彼女の姿を見失うことは無かったけれど。訪れた気配は急で、そこで漸く、自分が随分とぼうっとしていたことに気がついた。



見てなかったでしょう

きつい言葉とは裏腹に緩んだ口元。これが彼女の精一杯の甘え方なのだと、私は知っている。見て欲しかった。そんなこと、蓉子は絶対に口になんかしないから。


花火をしない? 提案してきたのは珍しいことに彼女の方だった。いつかの使いかけでもあるのかな、と軽く頷いた私を置き去りにして蓉子は、冷房の効きすぎた店内に入っていってしまう。その涼しさは魅力的だったけれど、その後にここに戻って来なければならないというのは御免だ。それにどんな種類かは直前まで分からない方が良い。ショルダーバッグの紐を弄びながら私は息を吐く。
それを溜め息と呼ぶには、私には余りに心当たりが無かった。緊張でもしているのかもしれないな、と何かを振り切るように頭を振る。
軽くシェイクされた思考が夏の暑さに埋もれていく。



少し前まで手持ち花火を持ち簡単な模様を描いていた私の右腕。打ち上げ花火はここでは無理、だからせめてパフォーマンスで楽しませてあげましょう。自分も楽しんでいたことは否定しないけれど、楽しませてあげる筈の蓉子が険しい顔になってきたからやめた。どちらかというと、思い詰めたといった類の表情。消えてしまいそうだわ。それは私のことを差していたのだろうけれど、私には蓉子の独白に聞こえてしまって。まだ途中なのに取り落としかけた私を見て彼女は悲鳴さながらの声をあげた。それで何となく流れてしまった言葉は未だに、私の側に張りついている。



帰りましょうか

重ねた手は先程までの名残か汗ばんでいた。一体どこに帰るというのか。彼女を困らせるだけの質問をしてみたくなる。
さっきの笑みが私のためのものであって欲しいと思う反面、私のせいであって欲しくは無いとも強く思った。切実な程に。



握られた圧力の強さに、さっきの儚さはどこにも無い。寧ろそれを必死で掻き消そうとでもしているかのような行為。迷子になった幼子のよう。そっと伺った表情は逆光になってしまっていてはっきりとは見えず、やっぱりどこか現実味が失せていた。アンバランスだ。黒髪が揺れる。ああ、どこかで風鈴の音が。



力を込めた指先だけがここにあった。二人でなら消えても構わない、とほんの少しでも考えてしまった私を諌めるかのように。柔らかな感触が私を迎える。
柔らかなままで押しとどめる。



帰り道は無言のまま過ぎて行く。むっつりと黙り込んだ私を、蓉子がどう思っていたかは分からない。ただ、私の方は何も考えてはいなかった。敢えて言うなら、何も考えないように、とひたすらに念じていた。私が力を抜いたとしても絡みついたままだったろう彼女の左手は、暖かくて切なかった。


最後に名残惜しく離された手と手が。何かの象徴のように残像を作りあげていた。不思議に思って後で透かしてみたけれど、白色灯の下での手はただの、いつもの私の右手だった。少し安堵して同時に落胆した。


窓からは都会の夜景がそう美しくも無く並べられている。その鮮やかさが一瞬花火の持ち手の柄のように見えて。塗り重なった花火の色合いは薄く滲んでいた。
夏が終わる。終わってしまう。
何でもないことなのにこんなにも切実なのは、何故だろうか。






腕を組み目を瞑ると花火の残像はすぐさま消えていった。

ただ、頭にこびりついたままの蓉子の微笑が、たまらなかった。