sweet










「りんご?」


「ええ」


いつもより少し早く帰宅した蓉子はなんだか嬉しそうな顔をしていた。笑ってほんのちょっと幼く見える蓉子はとても可愛い。口元も目元も優しい曲線になる。


「どうしたの、それって聞いてもいい?」

「上司が皆に配ってたのよ」


ふーん。
頑丈な紙袋から出てきた赤は2つ。ぱっと見はふじとかじゃなくて、堅めの歯触りの種類。実は王林が好きな私は少し膨れた。腕の中のクッションが空気の抜けたような音を立てる。


「聖?」

「んー、別にー」


蓉子にもばれてるだろうけど、これは嘘だ。私はさっきの蓉子の言葉、あんまり信用していない。勿論上司に貰ったのは間違いないだろうし、そのときの言葉も正しいんだろう。でも実際に皆に配ったっていうのは、違う、と思う。


「………?」

分かってない蓉子はこちらにゆっくりと歩いてくる。柔らかかった笑顔がしぼんでくるのがとてもつらい。これは、私のせいだから。


「なんでもないよ」


名前を呼ばれる前に、笑いかけた。ごまかせているかは分からない、いや、多分ごまかし切れてない。蓉子が好きだけど、蓉子が好きだから巣食うこの感情は、呆れるくらい単純でお子様なのだ。

否定を封じ込める、音が聞こえた。蓉子の噛みしめられた唇の方がよほど赤くて、おいしそうで私はそんなことを考えてしまう自分に嫌悪する。どうしてこう、素直に喜べないのだろう。蓉子が笑ってくれていればそれだけで、嬉しいのに。


「……ごめんなさい」

小さな呟きと肩に押し付けられた重みは、同時だった。
蓉子が謝る理由なんかもちろん無い。


「取り敢えずそれ、食べようか」

私は蓉子の目を見て、それから歯を見せて笑った。勘の強い彼女がどう思うかは分からないけれど、それでも果物ナイフを取りにいくために立ち上がる。
置いてきぼりにされた蓉子はスーツを来たままでソファーの上。こんな、きょとんとした表情も好き。


「ほら、はい」

ちょっと歪に8等分された一切れを、赤い唇の中に放り込んだ。慌てて取ろうとした指が私のそれに触って、蓉子の顔まで紅く染まる。抱きしめたくなるけれど、片手にはナイフじゃ危なすぎる。おいしい? そっと聞くと遠慮がちに小さく頷いてくれた。自分もひとつくわえて、刃物を置こうと蓉子に背中を向ける。


「もう一個は冷蔵庫、入れておくよ」

今蓉子にこの顔は、なんか見られたくない。
まな板まで水でゆすいでしまうと後にはりんごだけが残った。



「あの、聖!」

何かを決心したかのような蓉子の声。振り向かない訳にはいかなくなって、ボウルを抱えて移動する。拭かなかった手から垂れた滴が少し床を汚したけれど、蓉子は何も言わなかった。多分、気がついていない。


「なに?」

「それの……、ことだけれど」

ボウルの中にはまだ沢山のりんご。つまみ上げて今度は手渡すとちょっと困った顔。


「……その、聖と食べたかったから、ふたつ貰ってきた、…のよ」


私の幼い感情はあっさりとばれてしまった。結構決まり悪い。
それでも蓉子の方も随分と恥ずかしかったらしく、さっきからお互いの目は合わない。合わせられない。



ふたりでしばらく赤面。



「……うん」

予想以上に素直に出てしまった返答に私は情けなくなって、二切れ目を口に運ぶ。一気にふたつ食べる訳じゃないんだから、とか茶化して言えれば良かったのかもしれないけれど。当たり前のように空いたままだった蓉子の隣に腰掛けたら本当のことしか言いたくなくなってしまった。


思ったより甘い味と一緒に下らない嫉妬心も飲み込んでしまおう。咀嚼する音が隣からも聞こえて、それからボウルの中に差し入れられた手をそっと握った。

蓉子の顔はやっぱり紅くて、それで。私はやっと心から笑うことが出来た。