甘えてあげる
ねぇ蓉子。幸せ?
……幸せになる前に、貴女に食い殺されそうよ。
苦笑は耳元を旋回してその中で、私は蓉子を抱きしめる。狼少年じゃないつもりだけどな。窓に遮断された、ほんの少し欠けた月は私よりずっと白い。でも、後二日もすればきっと赤くなる。
私に食べられるのは、嫌?
ふふ…なぁに、変なこと聞くのね
変かなあ?
ええ、だって、聞いてどうするの?
腕の中が暖かいとそれだけで。すごく幸福な気持ちになれるんだ。くすぐったそうに身をよじる様子だって、ほら。月明かりが部屋まで入ってくる。無粋だね。でも、拒みはしないよ?
よーこの化粧水、良い匂い
化粧水?
ん、さらさらー
……もう
蓉子美味しいだろうな……だって蓉子なんだから。この過程には沢山の出来事が詰まっていて、嫌なことも苦しいこともいっぱいあったけれど。皆まとめて鍋に放り込んで。ぐつぐつ煮ちゃえば立ち昇るのはあったかい湯気。幸福の香り。
今日は帰らなくていいんだよね?
肯定を前提とした問いかけはふわっと舞い上がる。ああでもあの月までは届かないだろうな。真っ白い、湯気も。 あげるつもりなんか、元からないけれど。
待ってて。飲み物取ってくるから。
ん……
階段はひとりで降りるものだ。こつこつと木の感触。出窓はさっきまでいた部屋とは反対向きに位置していて、濃い青は切り貼りされたみたいにくっついていた。 カラン…… 氷がガラスに接触する音もやっぱり、孤独に似ている。
お待たせ
……あら、アルコールじゃないの?
…私を何だと思ってるのさー
それは勿論
勿論……?
すぐにときほぐされる不安は、細い糸となって甘く絡みつく。このままふたり、縛りつけてしまえばいい。そう口にしたら蓉子がちょっと怒ることも、分かってはいるのだけれど。
………せい
ん、おやすみ、蓉子
否定しようと、小さく首を振る蓉子はとても可愛い。でも、その動きも緩慢になってきているのは紛れもない事実。そっと目に手のひらを当てる。
睫の振動が伝わって。一瞬強張った体を宥めるように。歌を歌う代わりに髪に頬を寄せた。ほんの僅か湿った黒髪の気持ちの良さは私しか知らないんだ。蓉子だって知らないんだから。
……おやすみ、なさい
こんなときまで律儀な蓉子に笑みが零れる。 シャッと小気味よくカーテンを閉める。ふたりきりの夜の始まり。このままこっそりかじったらふてくされるんだろうなあ……。お腹の中で呆れられちゃうんだ。暴れることは…無いと思うけれど。
後二日のお預けの分、しっかりくっついて眠ることにしよう。網戸から降りかかる生暖かい風に、ゆるり、巻き取られながら。
私もそっと、おやすみと告げた。 幸せな間に食べられるのも悪くない。
くつりと笑うと蓉子が小さく身じろぎを返した。
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幸せというテーマで話をを膨らませるのが好きなようです。(こっぱずかしいですね!)
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